沖縄を見捨てた「密約」

世相

 先日ブログに沖縄返還の密約を書いたら、翌日朝日新聞が沖縄の「密約」を載せた。不思議な因縁だと思った。沖縄の1972年返還が決まった69年11月の日米首脳会談で、非核三原則を掲げ「格抜き、本土並み」を目指す佐藤栄作首相とニクソン大統領が返還後の沖縄へ、緊急時に核兵器を持ち込む密約を結ぶまでの詳細なシナリオの存在が明らかにした。資料は佐藤栄作の親族が核密約を結ぶシナリオの資料をコピーして保管していた物を公表したのである。原本の所在は分からない。会談の運びは、若泉敬が94年に核密約の存在を明かした著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で触れているが、それを裏付ける史料で、段取りなどが詳細だ。密使を使った極秘交渉の舞台裏で、秘密を守ることが徹底していた様子がうかがえる。  シナリオでは「核密約」と言う言葉使われず「議事録」と記され、米側は「ニクソンとキッシンジャーのみが承知していて国務長官等にも知らされていない」と日本側に説明したそうだ。核密約については「会談中両者とも触れない」「記者などから有事核持ち込みについて秘密了解があったのではと問われたら頭から否定する」等徹底して隠し通そうとした。

  その後毎日新聞の西山太吉記者が外務省の蓮見喜久子から外務省の「密約」極秘電報を入手した。衆院予算委員会で、社会党の横路孝弘がこの外務省極秘電報のコピーを示して政府を追及した。政府は外務省極秘電報が本物であることを認めた。しかし、それでも、政府は「密約はなかった」とかたくなに言い続けた。ただ極秘電報のコピーの情報源が簡単に割れるというのも,横路孝弘はお粗末といわざるを得ない。しかしその後事態は思わぬ方向に転じた。西山は蓮見とひそかに情を通じ、これを利用して外交関係秘密文書を持出させて記事にしたと起訴されるのである。国にとって重要な「密約」より男女の関係による取材活動に社会の眼は行き、毎日新聞は批判され、新聞社は傾きかけた。国の施策から取材方法に目先を変えられ,物の本質と重要性を判断できなかった国民、社会にも問題があったと思う。世論操作とも言える国の手立てに乗った他の報道機関も情けない。蓮見の裁判の様子は 澤地久枝の「密約」に詳しく描かれている。西山の裁判の弁護側証人に読売新聞の渡辺恒雄が立ったのは当然とも,意外とも思われる。沖縄戦で自決した海軍中将太田実の本土に送った「沖縄を大事に」との最後の電報で語られた沖縄への想いとは、ほど遠い結末である。

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