本田宗一郎の声は豊田章一郎には届かなかったのか

世相

豊田章一郎氏(2023年2月14日没 享年97歳)  【佐高信「追悼譜」】を載せる。

いま、私の評伝選を出してくれている旬報社から、およそ20年前に『本田靖春集』全5巻が出た。私よりひとまわり上の本田は、私が敬愛するジャーナリストである。この全集の推薦者が五木寛之、澤地久枝、そして筑紫哲也。その本田の『複眼で見よ』(河出書房新社)にこんな一節がある。「本田宗一郎のこと」と題して、靖春は損失補てん問題で日本の資本主義は腐臭を放っているとし、トヨ夕や松下電器産業(現パナソニック)と対照的に財テクに見向きもしなかった宗一郎を偲んで、「経済評論家の佐高信氏」の次の指摘を引く。

1990年ごろ、証券会社による損失補てん事件が起こった。大手の証券会社が大企業の法人顧客に取引で損失が出ても、損を補てんするとの裏取引をしていたことが露見し、損失補てんを受けていた会社の名前が多数公表されてしまったのである。

 日立製作所、トヨタ自動車、松下電器産業、日産自動車、丸紅、ユニ・チャームなど損失補てんを受けている会社として報道された。資生堂の名前も挙がっていたのだが、その時の福原社長は即座に謝罪をした。その時の謝り方が潔く、模範的な対処の仕方だと称賛された。一言もコメントをださず、謝りもしなかった会社も多かった。ある大学教授がこれは大口手数料割引の変形であって、金融制度が未成熟な日本ではやむを得ないことだとの意見を述べていた。その当時は、尾上縫事件、イトマン事件などが起こり、バブル末期の混乱が続いていた時代である。

 さて、マスコミ系の会社では唯一TBSが損失補てんを受けていた。やはり公共放送の会社が損失補てんを受けていたらまずいだろうと批判が広がっていた。テレビ会社では異例の経理畑から社長になっていた田中和泉社長は、社内からの批判もあり、やむなく辞任した。ここにホンダの名はない。

「大体、トヨタにしても松下にしても、いまだに豊田家、松下家の人間が会長、社長等主要ポストにすわっている。企業を”家業”と考えているわけだが(略)、損失補てんも、日本企業のこうした封建的土壌の上に咲いた徒花なのである」

本田宗一郎は実弟も早く本田技研を辞めさせ、子息は最初から入社させなかった。引退したのも67歳と早い。

こうした説明を入れながら、「ふたたび佐高信氏の文からの引用になって恐縮だが、どうかお許しをいただきたい」として拙文を引いている。

「また、豊田家の企業のトヨタが、その本拠の挙母市の名を豊田市に変えたのに、本田は鈴鹿サーキットで知られる鈴鹿市が本田市に変えてはどうかと言ってきたのに、それを断っている。(略)問題の補てんリストに本田技研の名がないのは偶然ではない」

愛知県豊田市。トヨタ自動車が本社を置く、いわずと知れた企業城下町だ。この市は元々「挙母(ころも)市」という市名だった。「クルマのまち」ではなく、「マユのまち」だった。養蚕・製糸業を中心に栄えた挙母町。しかし、昭和の初めころからその需要が減り、当時の町長・中村寿一が町の繁栄を取り戻すために乗り出したのが、豊田自動織機製作所が新設した自動車製造部の工場誘致だった。誘致成功後の1938年、トヨタの挙母工場が論地ヶ原(現豊田市トヨタ町)に完成。発展を遂げた拳母町は1951年、挙母市として市制を敷く。そして1958年、商工会議所から市宛てに、市名を「豊田市」に変更してほしいという請願書が届く。理由は、挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長したことと、地名の「挙母」が読みにくいことから。元の地名に愛着を持つ市民も多く、一時は賛成派と反対派で市を二分するほどの論議が展開されたが、翌1959年には市名を「豊田市」に変更したのだ。ちなみに、このときトヨタ自動車の本社工場がある場所も、「トヨタ町」と改名された。トヨタ自動車の本社住所は、愛知県豊田市トヨタ町1番地となる。

読み方は「とよだ」? 「とよた」?

トヨタ自動車創業者一族の豊田(とよだ)姓に由来するため、「とよだし」と濁って発音してしまいがちだが、これは間違い。豊田市は「とよたし」と清音で読む。同じく、企業・団体名に由来する市名としては、奈良県の天理市が有名だ。ただ、こちらは市誕生時からこの名称で、後から変更されたわけではない。市名をも変更してしまう大きなパワー。大企業が持つ力は計り知れない。豊田章一郎が経団連の会長をやったのは、日本の企業の負の側面の代表として、皮肉な意味で妥当なのだろう。豊田家の分家の英二から本家の章一郎への社長交代は”大政奉還”などと言われたが、豊田家の人間でなければ社長になりえたかどうか、私は疑問がある。その息子の章男に至っては論外である。私は章一郎の死を悼む人に梶山三郎の小説『トヨトミの野望』『トヨトミの逆襲』(いずれも小学館)を読むことをすすめたい。本田靖春によれば、死期の迫った本田宗一郎はこのように言い遺したという。

「自動車をつくっている者が大げさな葬式を出して、交通渋滞を起こすような愚は避けたい。もうすぐお迎えがくるが、何もやるな」

かなり前から、宗一郎は自宅への年始のあいさつを断っていた。その理由を彼は靖春にこう語った。

「自動車屋が駐車の列でご近所に迷惑をかけてはいけない」

道路を倉庫がわりに使う方式といわれたトヨタかんばん方式をやめることなど考えもしなかっただろう章一郎にこの発言は届くことはなかった。

                         (佐高信/評論家)

私はトヨタの車を乗っていたが、これを読みホンダに代えた。子どもの車もホンダにした。トヨタ自動車は世界最大の自動車メーカーであるが、その裏では様々な闇が存在している。例えば、創業家の支配力や封建的なカルチャー、人事評価の不公平さ、EVシフトの遅れや電池不足、子会社出向の増加などである。これらの闇は、トヨタ自動車の業績やブランドイメージに影響を与える可能性があり、トヨタ自動車の社員や取引先にとっても、働きづらさや不満を生む要因となっている。その労働現場は「自動車絶望工場」の時代を引き継ぎ、社員が工場内で若くして過労死しても労災すら認められず、正当な労組活動すら制限されるほど“思想統制”は行き届く。「自動車絶望工場」のトヨタ下請けでは過酷勤務とパワハラでうつ病になったデンソー社員やトヨタ系列「光洋シーリングテクノ」(社名は変えたらしいが)の偽装請負で働かされているとして青年労働者らが直接雇用を求め告発するなどがあった。多額な広告費でメディアがトヨタをタブー視してきたのだろう。トヨタ自動車の本社や工場において、トヨタ車で無い限り警備門柱を通過出来ないらしく、トヨタ自動車社員だからと言ってトヨタ車に乗らない者は門を通さずと、個人の自由や尊厳を損なう行為が、トヨタ自動車内にあるようだ。トヨタの闇と世襲はどこまで続くのであろうか。このように考えていたら「ダイハツ」の認証不正問題が起こった。ダイハツはトヨタの完全子会社で、日本全体の製造業界に大きな影響を与えるだろうと思う。

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