社会運動家・坂本龍一 

世相

私は、音楽を全く分からない。楽譜、音符などみんな、ちんぷんかんぷんである。そんな私がNHKのドキュメンタリーで坂本龍一の音楽講座のような物を見た。音楽の話はよく分からなかったが、音楽に興味を抱かせるような中身であった。YMOなど知らなかった私が調べだした。そして坂本龍一の人柄に惹かれた。その後さらに彼の活動を調べたりして,その考え方、社会活動に共感した。坂本龍一の私生活は人それぞれだ。坂本龍一は音楽家にとどまらないで、社会運動家と言ってよいのではないか。

  トルコ、イラン、イラク、シリアの4カ国にまたがる政情不安な地域で、暮らす「国を持たない世界最大の民族」クルド人の救済活動から始め、地球環境問題を提起し続けた。終生森を愛し続けていたように思う。また薬害エイズの真相究明の学者文化人のアピールにも参加し,薬害再発防止を訴えた。薬害エイズとは、エイズ原因ウイルス(HIV)が混入した非加熱製剤の認証を取り消さなかった厚生省と販売を継続した薬品会社により、約1400人もがHIVに感染した。被害者はいわれなき偏見により差別を受け社会から排除され、さらに感染告知が遅れ、発病予防の治療を受けなかったことに加え、二次・三次感染の悲劇も生まれた。そして日本音楽著作権協会(JASARC)にも提言を行った。音楽著作権をJASRACが独占して管理すること、および権利の信託が包括的にしか行えないことに対してこれを改めるようJASRACおよび文化庁に対して働きかけを行ったのである。 幅広い分野に興味関心を持ち行動し発信し続けた。グローバルサウス(「途上国」と同様の意味で用いられる言葉。アフリカ、ラテンアメリカ、アジアの新興国などが当てはまる)の貧困国への債務帳消しを求めるキャンペンも行った。

 NYで9。11テロを体験して、坂本龍一は「音楽を楽しめるってことは、平和じゃないと楽しめない。だから僕は音楽家だからこれからも音楽をやるためには、平和でないと社会や世界でないと困る。とてもそれを実感として感じた。」と語っている。9.11では報復反対のグループに参加し、アフガニスタン紛争の「非戦」を発売し印税は、9.11の被害者、難民の支援に充てられた。イラク戦争にも、小田実、鶴見俊輔などと共に反対をした。原発にも早くから関心を持ち、2004年には「脱もんじゅ」のビデオ制作に協力をした。

 PSE(PSEとは、日本の政府が定める電気用品安全法のことであり、その安全基準に適合した電気用品だけに貼り付けられる表示がPSE認証(PSEマーク)である)問題にも関心もち、PSEマークのない家電製品販売禁止に反対をした。細かいところまで目が届く。2006年玄海原発のプルサーマルの住民投票を応援し、同時に青森六ヶ所村の核燃料サイクルの危険性を訴えた。

  森林保全問題、地球温暖化にも注力を払った。何かのテレビ番組で、坂本龍一が樹木の音を拾うのが印象に残った。本当に樹木は生きているとの実感を受けた。

   バルセロナオリンピック開会式の音楽を頼まれたが、「ナショナリズムを高揚させるスポーツイベントは嫌い」と一度は断るが熱心な勧誘で引き受ける。「ナショナリズムを高揚させるスポーツイベントは嫌い」は心地よく響く。

 2007年7月16日に起きた新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所が被害を受けたことに応じて「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」という運転再開に反対する運動を始めた。新潟県中越沖地震直後、私は東京に行って、あまりの夜の明るいことに怒りを覚えた。無駄に電気を利用していると思われた。東京で必要な電気は東京で発電すれば良い。新潟県,福島県、茨城県に任すなと思った。そして2011年福島第一原発の事故が起こった。坂本龍一は震災後の福島の現状を伝えようと「プロジェクトFukushima」に手弁当で参加し、被災地を支援するため子どもの楽器を点検・修理をする「子どもの音楽再生基金」を創設した。2012年、東日本大震災における原発事故の後の脱原発に向けたデモ活動に参加する中で「たかが電気のために人の命を危険に晒してはいけない」と発言し物議を呼んだが正論と思う。その後、大江健三郎、落合恵子等と脱原発を求める「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」をはじめ、脱原発をテーマにしたロック・フェスティバルである「NO NUKES」を企画してシリーズ化し、2019年までほぼ毎年開催した。2013年12月、坂本竜一は、原発報道などに関して記者と討論した。東京電力福島第一原発では事故収束作業が緒についたばかりにもかかわらず、原発再稼働の動きが強まり、原発推進派と反対派に二分されたころだ。どちらの立場の人にも、こちらの情報が届くにはどうすべきか「音楽家として、相手に伝える際に心がけていることを教えてほしい」と問われ、主に二つあり、一つは「しかめ面で言われると、相手は大事な問題でも心を閉じる」。もう一つは「人は聞きたいように聞く。信じたいことを信じるもの。あまり悩む必要はないですよ」と答えた。

 2015年には、安倍晋三内閣総理大臣の安保関連法案に反対する市民団体やSEALDsの国会前抗議にも参加するなど、安保関連法案を批判している

 2016年、沖縄における米軍属に対する「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」に向けて「沖縄だけに痛み、苦痛と侮辱を何十年もおしつけておくべきではない。もうたくさんだ。基地、米軍、武力が必要なら日本人の全てが等しく背負うべきだ」とのメッセージを寄せた。その通りである。

 自身の政治的な言動が批判されることについては「音楽家だけど、余計な口を出してしまうから。音楽家は音楽だけやっていろ、とインターネットで言われているらしいということも知っています。これは言わないと、というときだけ選んでいるつもりですけれど、発言するから偉いとも思っていません。でも音楽だけやればいいとも思わない。普通の人が口を出すのが民主主義でしょ。職業に関係なく誰もが声を出せる社会じゃないとダメだと思うのです」といった考えを述べている。

  坂本龍一は環境問題や憲法問題などに、ひときわ関心が高く、自ら運動に参加したり、発言したりした。特に原発問題では反対運動の中心人物として活動し、先に記した「No Nukes」というスローガンを掲げた。亡くなる直前には、明治神宮外苑地区の再開発の見直しを都に要求している。最後まで樹木が好きな人だったと思う。最近瀬戸内寂聴、大江健三郎、早野透など大事な方々が次々と亡くなっていく。寂しい限りだ。

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