私の周りに、障害を持った子供のいる方々が思いの外多い。それぞれ程度に差はあるが、みんな子供の将来を深刻に考え、思い悩んでいる。親が生きている間は、まだ面倒を見てやれるが、両親が亡くなったら、誰が真剣に面倒を見てくれるのかと思い悩むのである。
ある方の話をする。身体的,精神的にも深刻な障害で,障害者手帳の等級では1級であろう。体は動かせず、話も出来ず、話しかける親の言葉にかすかに目で反応する位である。その母親が児童相談所に行き、相談したようだが職員は素っ気ない態度で,しまいには「そんなにお金が欲しいのか」といわれたそうだ。母親は驚いたが、すぐに「お金が欲しいのだ」と泣き叫んだという。母親はその時の職員の態度に、行政への不信と子供の将来に,悲観的な諦め・・・でも諦めていられないという思いも深まったそうだ。この職員の態度は、福祉という現場にいる人間として最低と考える。こんな職員のいる福祉の行政機関に子供を任せられるのか、その後思いつめたという。「そんなにお金が欲しいのか」の言葉は、我が子を思う親の気持ちを踏みにじる、許しがたいものだ。障害を持った子供を育てるのにも精一杯なのに、この言葉、仕打ちにしばらく立ち上がれなかったという。そして時々思い出しては、子供の将来を何度も繰り返し不安に思い、その方自身の情緒も不安定になったという。そんな福祉の職員の中で、将来子供はちゃんと見守ってもらえるのであろうか、不安で押しつぶされそうになったそうだ。その職員は母親の心を殺したのである。その職員は所詮他人事のことなのであったのである。
その両親にはもう2人子供がいて、うち1人も程度はよく分からないが,同じく障害をもち、将来に不安があるという。もう1人の子供は女の子で,優秀で美人であるが、40をだいぶ過ぎているが、未婚である。弟2人が障害を持ち、なかなか縁がないのだろう。親御さんは、この長女も気になっているそうだが、こればかりは何ともしがたい。両親が亡くなったら、長女が弟2人の面倒を見るのも、切ないものがある。両親は障害を持つ弟2人の他に、この長女の将来も気をやらねばならず、聞いていて切なくなる。
このお方の家は今後どうなることだろうか。