初めて飛行機に乗ったのは新婚旅行の時である。私は高所恐怖症で、さらにあの飛行機という物体が宙を浮くのが信じられなかった。だから飛行機は極力さけてきた。新婚旅行は沖縄に行った。沖縄に行くのには飛行機を選ばざるを得なかった。沖縄では石垣島、竹富島を訪ね、そこは開発前の青い海と美しいサンゴ礁など、豊かな自然に恵まれた異国情緒たっぷりの地だった。沖縄を選んだのは、自然豊かなであること、沖縄海洋博覧会の跡やひめゆりの塔を見るだけでなく、私にはもう一つ目的があった。沖縄本島南部の司令部跡地を見たかったからである。その後訪れた時は柵がされていて入れなかった。
1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で、一人の軍人が自決した。海軍司令官の大田実海軍中将。私が行きたかったのは太田実が自決した洞窟であった。洞窟では異様な感情に襲われ沖縄戦に思いをはせた。自決直前に海軍次官にあてた電文には、沖縄戦の惨状と沖縄県民の献身をつづり、「後世特別の配慮を」と訴えた。それに対して、陸軍の牛島満司令官は信用ならない。白装束で切腹したと言われているが、疑わしい。沖縄県民を一人でも救おうとしたのは、太田実であり、沖縄県知事島田叡である。太田と島田は南部に県民を逃がそうとしたのに陸軍はそれについて行き県民を楯に戦い、甚大な被害を県民に与えたと思う。石垣島の悲劇は忘れてはならない。中野学校の一将兵が、島民を西表島に送り、石垣島にいた家畜類は沖縄本島の将校達に送ったのである。石垣島の島民はマラリアで相当やられたそうだ。戦後の沖縄は、それは大変であった。太田実の長くなるが電文を紹介する。この電文に太田中将の沖縄への想いが詰まっている。
「沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ 県ニハ既ニ通信力ナク 三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非(あら)ザレドモ 現状ヲ看過スルニ忍ビズ 之(これ)ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面 防衛戦闘ニ専念シ 県民ニ関シテハ 殆(ほとん)ド 顧(かえり)ミルニ 暇(いとま)ナカリキ
然(しか)レドモ本職ノ知レル範囲ニ於(おい)テハ 県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ 僅(わずか)ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差し支え(さしつかえ)ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚砲爆撃下■■■風雨ニ曝(さら)サレツツ 乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ
而(しか)モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦烹炊(ほうすい)婦ハモトヨリ 砲弾運ビ 挺身(ていしん)斬込隊スラ申出ルモノアリ
所詮(しょせん) 敵来リナバ老人子供ハ殺サレルベク 婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ 衛生兵既ニ出発シ身寄リ無キ重傷者ヲ助ケテ■■ 真面目ニテ一時ノ感情ニ駆ラレタルモノトハ思ハレズ
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ 自給自足 夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終止一貫 勤労奉仕 物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ■■ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只管(ひたすら)日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ 遂ニ■■■■与ヘ■コトナクシテ 本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形■■■■■■
一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂(い)フ 沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ
(■は判読できず) 」
この最後の「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ」は堪らない。今国が(本土が?)沖縄にしていることは基地を押しつけ、反対派には強行で悪辣な仕打ちをする。賛成派にはお金で手懐ける。太田中将の「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ」を国にはどう聞こえているのだろうか。沖縄の本土復帰にも問題はある。「密約」である。沖縄の「密約」とは、1971年に日米間で結ばれた沖縄返還協定に関する秘密の合意のことである。この合意では、日本は米国に対して、沖縄に核兵器を再持ち込む権利を認めることや、沖縄の基地用地の原状回復費用を肩代わりすることなどを約束した。この「密約」は、当時の佐藤栄作首相とニクソン大統領が署名した極秘の「合意議事録」に記されていたが、日本政府は長年その存在を否定してきた。しかし、2000年代になって、アメリカ側の公文書や関係者の証言などで「密約」の実態が次々と明らかになり、この「密約」は、沖縄返還の歴史的な成果と引き換えに、日本が米国に譲歩した代償だったのである。現在も、全国の米軍専用施設の7割が沖縄に集中するなど、復帰時の問題は残されたままである。米軍に「特権的」ともいわれる地位を認めた日米地位協定によって、米軍が関係する事件事故は捜査に制約がかかり、米軍機の騒音問題も解決しない。佐藤栄作の遺族はノーベル賞を返還すべきではないか。その時日米交渉の密使として活動し、その後自殺した若泉敬は痛ましい。
平成天皇の沖縄への思いは深いものがある。平成天皇のひめゆりの碑で起こった火炎瓶事件の時も慌てることなく、振る舞われておられた。そこに沖縄への温かい想いが感じられた。平成天皇の沖縄への憂慮は周りがはかり得ないほど深いと思う。平成天皇は6月23日の沖縄の慰霊の日を大事に思っておられたという。自民党政権に対しては苦々しく思っておられるだろうと推察される。戦後、国の沖縄に対する仕打ちは太田中将になんと言い訳するのか。これからも国の沖縄への施策はあてにならず無力感に襲われる。