吉村昭は、記録文学や歴史文学の第一人者として活躍した作家で、多くの文学賞を受賞した。彼の作品は、現場や証言、史料などを徹底的に取材し、人間の本質や感情をリアルに描き出す。吉村の作品にたいする綿密な調査,小さな疑問にも詳細に納得がいくまで調べ尽くす姿勢は頭が下がる。桜田門の変の時の天気はどうだったか,雪があった記憶はあるが実際はどうだったかと調べるのは凄い。『羆嵐』、『破獄』、『生麦事件』、『桜田門外ノ変』など数多くの吉村昭の著作で、読んだのは少ないが皆印象深く記憶に残っている。『羆嵐』ではその現場にいるような感覚になる描写の正確さ、警察が捕獲に出てくるがだめで、無頼な猟師に頼み見事仕留める。その猟師の、ヒグマの肝は俺のものだと主張するのは印象深い。『破獄』は脱獄の天才と刑務所の刑務官の関わりがこれも細かく描かれ,当時の劣悪な環境の刑務所と最後入牢した府中刑務所の取材で,所長が定年間近の担当の刑務官に吉村に協力してやれと言われたのにたいし、その刑務官の「退職しても刑務所のことは話さない」と言ったのには、敬服した。色々な仕事に関わる人々はいるだろうが、この姿勢は見習わなければならないだろう。『生麦事件』では薩摩の武士がどのように切りつけて、致命傷を与えたのかに興味があったようだ。示現流の話も出ていたように思う。切りつけ方に関心が行くものだろうか。普通は切ったで、終わりであろう。『桜田門外ノ変』では冒頭に書いた天候へのこだわりである。あと私の本の中に埋もれて題名を忘れていた本が、偶然見つかった。『総員起し』である。昭和19年6月、訓練中不幸な事故で沈没した潜水艦が引き上げられた。潜水艦の中の様子は兵隊がまるで生きたままの状態で、今まさに出航するようだったという。作品から臭いを感じたのもこの作品だった。潜水艦を取材する記者の様子も描かれていたが吉村昭と重なった。その本の中に一緒にあった『海の棺』は将兵多数を乗せた輸送船がアメリカの潜水艦によって沈没するが、救命ボートには将官のみが乗り兵は海に残され死亡した事件を扱ったものである。海辺に打ち上げられた兵の手が切り落とされていて、救命ボートにしがみつこうとした兵の腕を、将官が切り落としたものと思われる。従軍看護婦だった母がよく言っていた将官のだらしなさ極まりである。母を書いた「従軍看護婦だった母」を読んで貰いたい。その他印象に残る作品を吉村昭は数多く残した。
吉村昭は何度か芥川賞の候補に上がるが受賞できず、かえって妻の津村節子が受賞したのは面白かった。
読んでいないが代表作を要約する。『三陸海岸大津波』は東日本大震災後注目を集めた。明治29年の大津波、昭和8年の大津波、チリ大地震大津波の3部構成で構成されている。各部では、三陸海岸各地の町や村の様子や歴史を紹介した後、津波が発生した時の状況やその後の復興過程を詳細に追っていく。吉村は、津波によって失われた多くの命や財産だけでなく、文化や伝統も失われたことを悼んでいる。また、津波に立ち向かった人々の勇気や知恵、助け合いや絆も称えている。2011年に東日本大震災が発生した直後から、本書の注文売上が急増し、著者の妻で小説家の津村節子さんは版元を通じて、増刷分の印税を震災復興に寄付すると表明した。そして『戦艦武蔵』である。この作品は、太平洋戦争中に沈没した日本海軍最大の戦艦・武蔵の物語である。武蔵は、巨大な船体と強力な火力を誇り、日本海軍の誇りとして建造された。しかし、その実態は、戦闘に参加する機会が少なく、燃料や人員の消耗に苦しんだ船であった。この作品では、武蔵に関わった人々の証言や記録をもとに、その栄光と悲劇を詳細に描いている。戦争の悲惨さや人間の生き方を考えさせられる作品である。次に上げるのは、『ふぉん・しいほるとの娘』である。この作品は、明治時代に日本で活躍したドイツ人医師・フォン・シーボルトの娘・イネの物語で、シーボルトが丸山遊廓で出会った遊女・其扇との恋愛や結婚、そしてお稲の誕生などが描かれている。しかし、シーボルトはオランダ政府から日本の国情を探ることを命じられており、日本地図や植物標本などを国外に持ち出そうとしたことが幕府に発覚し、シーボルトは厳しい取り調べを受けた後、国外追放されてしまう。お稲は母親とともに残されるが、母親は病気で亡くなり、お稲は孤児となるが、シーボルトの友人である高島秋帆や佐久間象山などに助けられて育つ。その後再来日したいシーボルトはイネと再会する。イネは、父親から医術を学び、日本初の女医として多くの女性や子供たちを救った。しかし、彼女は日本人とドイツ人のハーフであることから、両国で差別や偏見に遭うことになる。この作品では、イネが見た日本やドイツの風景や文化、そして彼女が愛した人々との関係を描いている。異国と自国の間で揺れ動く女性の生き方を感じられる作品である。最後に上げるのは、『天狗争乱』で、この作品は、幕末に起きた天狗党の乱をテーマにした歴史小説である。天狗党の思想や行動、運命に対して賛否を述べることはせず、客観的に描写している。しかし、その中には彼らの苦悩や情熱、友情や裏切り、悲哀や憤りなどが感じられ、天狗党の乱は、幕末日本の混乱と変革の時代を象徴する出来事であり、水戸学に発した尊皇攘夷思想の末路でもある。
病床にあった吉村昭の最後は凄絶であった。尊厳死とも言うような「死ぬよ」と言い点滴の管等を抜きさって死んでいった。