太平洋戦争によって約350万人の兵士、軍属、民間人が戦死した。戦後になっての戦病死を含めると500万人を超えるだろうといわれている。この500万人が不在のなか戦後が過ぎ去っていった。彼らが生きていたならばどんな戦後の歴史になっていたことか。皆が優秀で社会貢献ができたは言わないが、少なくともその弊害はあったと言える。戦時中理工系学生は徴兵が免れ、戦後のその分野での日本製品は国際市場で強さを発揮した。また海軍が1938年から短期現役主計下士官制度で人材を確保し、彼らは戦場に行くことなく戦後、官僚や、経済界などに散らばり日本の復興に重要な役割を果たした。理工系、官僚、経済界に人材がいたのにもかかわらず、政治、教育、文化、哲学さらに社会福祉、マスコミに有能な人材がいなかった。モノは作る、カネは得る、行政指導は巧みな国家ができ、文化も伝統も理念も、人間存在を考える気風も、礼儀も何もかもカネとモノに隷属するいびつな社会になったのである。科学者や官僚に匹敵する人材を使いこなせる政治家・思想家・教育者が生き残っていれば、こんなモノカネだけの不作法な社会にはならなかっただろう。
彼らが生きていれば自分は前面に出ることはなかっただろう、せめて彼らに笑われない社会、国家を作っていきたいというモラルを、宮沢喜一、後藤田正晴、伊東正義等は持っていたと思う。
太平洋戦争の戦死者と同世代の者がその謙虚さを忘れた頃から戦後社会のゆがみが始まった。保阪正康はいう。
一つ目に、戦死者を、特攻隊員を「犬死」とイデオロギーで割り切った瞬間に生者の堕落が始まり、自己弁護が始まったのである。
二つ目に、戦死者を「不運」とか「悲運」といい、自らの生存を「神仏の加護で助かった」等という傲慢さがゆがみを生んだ。
三つ目に、戦争で逝った者は善人で、生き残った者は非善人という、当たり前の了解事項を忘れたことだ。死とで合う人達には、誰かの身代わり、御供という意味がある。
四つ目に、何から何まで戦勝国の論理に漬かったということである。実際に日本は中国を侵略し、東南アジアの国々に迷惑をかけた。このことは日本の歴史を全否定することとは全く別問題である。自前の思考を持たずに戦勝国に依存するという流れは知的な退廃を生んだ。
しかし、中曽根康弘は海軍主計士官出であるがこのあたりからこのモラルが欠如して、理解していないのではないか。細川護煕、羽田孜、村山富市、海部俊樹・・・・・彼らに経綸、識見、それに人格陶冶を見つけることができるであろうか。国家観を少しでも語られる政治家がいない。中曽根康弘あたりから「パーな政治家」といわれていたのが今はどうだろう。安倍晋三、岸田文雄は「パーな政治家」どころかなんと呼べばよいのか。まともな科学者や官僚も今や昔の話になった。
30年ほど前にアメリカのジャナリストが四〇代の政治家に取材したところ、第二次世界大戦の内実も太平洋戦争の具体的内容も知らないのに驚いたそうだ。歴史から学ぼうという姿勢がないのだろかと語っていた。安倍晋三が、戦後レジーム(体制)」からの新たな船出といいながら、志位和夫の問いにポツダム宣言を読んでいないとの発言をし、恥ずかしく感じなかったのだろうか。今殆どの政治家は、政治を家業のように考え世襲で、歴史、哲学などを勉強していないのだろう。演説は官僚任せでぱーの三乗の政治家「ぱっぱっらーぱーの政治家達」にどうすればよいのだろうか。
作家の中にはポツダム文士であると自嘲気味に話す作家がいる。阿川弘之と三浦朱門の対談で「おまえかて俺かて、ほんまはポツダム文士やないやろうか」「色々な優秀なやつが死んだよって、お前も俺も一人前の作家みたいな顔をしとるけれど、あいつらが生き取ったら俺たちはまだ同人雑誌でうだつの上がらんかったとちがいか」と語っている。
安倍晋三はこのポツダム対談を理解できるであろうか。できなかったであろう。
参考文献
「昭和戦後史の死角」 保阪正康