1980年代金の地金を用いた詐欺事件が起きた。バブルがはじけ、ドルショックなどから、純金に対する関心が高まっていた社会背景を悪用し、人情に訴える営業方法で、高齢者や母子家庭、身体障害者などをターゲットにありもしない純金の販売を始める。純金を客に購入させ、モノは豊田商事で預かる代わりに証明書を渡す。また購入金額の10%~15%を支払い、客を安心させて信用させるという手口だった。こうして次々と客をだましつづけ、豊田商事の店舗は全国に60店舗、従業員数7500人に増えていった。現物の金は渡さず代わりに証券証書を渡すペーパー商法と呼ばれた。無差別の電話で脈ありとなると強引な手法で契約を結ばせた。当時の社員教育ビデオでは「一人で家にいる人を狙え」「銀行預金よりやや有利だと強調せよ」「本物の純金を手に持たせて重さを実感させよ」など、詐欺の研修が行われ、さらに、「契約が取れるまで家を出るな!」など居座りや土下座もいとわないセールス方法で契約をもぎ取っていった。豊田商事の名は,トヨタ自動車の系列を思わせ、イベントには芸能人(細川たかし、千昌夫、美川憲一など)を起用するなど、その後の詐欺事件の見本のようであった。しかし、そんな詐欺行為も長く続くことはなく1985年に社会問題化し捜査が始められる。被害者数3万人、被害総額2000億円という日本の歴史上でも最大の詐欺事件となった。1985年に破産したときに2000億円の資金は従業員への給与の支払いと会社の運営資金にと言われ、あとは、永野一雄会長の先物取引での損失や会社としての事業の失敗により殆ど消えており、豊田商事には資産といえる資産はないといわれているが果たしてそうだったのだろうか。この事件で最もショッキングだったのは、豊田商事社長永野一男の刺殺事件である。1985年6月18日会長の永野一男が逮捕されると聞きつけ、報道陣が永野の自宅マンションに集まっていた。すると、被害者の元上司を名乗る男/自営業・飯田篤郎(当時56歳)、建築作業員・矢野正計(当時30歳)が永野一男の自宅マンション前に現れ、窓の柵をぶちこわし部屋に乱入。そして、マスコミがいる前で永野一男の命を奪った。マンションの構造が廊下に自宅入り口があって、廊下に50人ぐらい大勢の取材陣が陣取っていた。ちょうど夕方頃の生放送中に、ヤクザ風の二人が取材陣の前に窓から乱入して永野会長を殺害したのである。この時の取材陣は、窓から乱入する際、誰も止める者はおらず、乱入した時もカメラで撮影するだけで殺害を止めに入る者もおらず、殺害後に入り口から出てきたときにも二人を確保することなく、これは怖いから仕方ないと思うが、普通にインタビューをし始めたのには呆れた。この時ほど、マスコミってただの野次馬に過ぎず、殺害という絵が撮れることしか眼中になかったのか。この事件が起こった時、テレビで生中継されており、この様子がお茶の間に流れることとなってしまった。NHKのアナウンサーは「お子さんには見せないでください」と慌てて注意を促す事態となった。
事件後、部屋から出てきた飯田と矢野は、俺たちが犯人だ警察を呼べと言い、駆けつけた警察によって連行されていった。犯人が血まみれで出てきた姿がテレビに映し脱されていた。まるでテレビのドラマを見ているようであった。また週刊誌では瀕死の永野一男と血まみれの犯人が記事になった。犯行を阻止できなかったのかとかマスコミへの批判が高まった。
犯行に及んだ自営業・飯田篤郎(当時56歳)、建築作業員・矢野正計(当時30歳)。主犯格である飯田篤郎は大阪豊中市にて鉄工所を営んでいた。工場では、身体に障害がある人や高齢者などを積極的に雇用していたものの1984年に5億もの借金を抱え倒産した。原因は下請けにだまされたことや不景気などが重なったものであり、豊田商事の直接の被害者ではなかった。しかし、高齢者を食いものにする豊田商事が許せなかった、知り合いに頼まれたという動機で犯行に及んだと述べている。そして、建築作業員の矢野正計は飯田に恩があり、事件に加担したと供述していたという。事件後、大阪地検にて主犯格の飯田には懲役10年、そして矢野には8年という実刑判決が下された。飯田は命を奪うつもりではなく、永野を裁判所に出頭させる目的だったが、現場でマスコミにあおられてやってしまったと述べている。裁判所はこれを信用できるものとし判決を下したのだった。
2017年のある週刊誌によると、飯田は懲役10年、そして矢野は8年の刑期を終え、既に出所している。飯田は86歳となっており、地方にて妻と子供とひっそりと暮らしているようだ。さらに、当時31歳だった矢野は60歳となり、釈放後はしばらく大阪で暮らしていたものの後に広島へと移住し、結婚し5人の子供に恵まれひっそりと暮らしているとのことである。犯人はだまされた老人のためにやったと言っているが、暴力団、宗教団体などの巨悪が裏にいるように思える。永野の死で詐欺事件の深層は闇の中に。その後豊田商事の幹部はどうしているのだろう。今も一人暮らしの老人へ詐欺まがいの商法や,オレオレ詐欺など、この手の事件は後を絶たない。
平成の鬼平と言われた弁護士・中坊公平は、倒産した豊田商事の破産管財人となり、店舗の家賃、敷金、さらには豊田商事社員たちが納めた税金まで回収するなど、前代未聞の回収作戦を実行し100億円の回収を行ったといわれている。また、中坊弁護士だけでなく、無報酬でもいい、雑用でもいいから手伝わせてくれと1000人以上の弁護士たちが手を上げた。一方、回収に対する妨害行為も多々発生しており、一部の暴力団や金融機関等は、管財人チームが回収した金の奪取や建物占有行為を強行した。
その後中坊公平は2000年 住宅金融債権管理機構の社長であった時に、同機構において不適切な債権回収が行われていたことが明らかになり、2003年 その責任を取る形で弁護士の登録取消届を提出した。
永野が亡くなった時所持金は700円あまり、アパートも部下より質素なものであった。2000億円はどこに行ったのか。
むかし母がただで何かもらえるという集まりに出かけた。タッパーという商品の販売会であり、結構沢山の商品を購入してきたと聞き、胡散臭いものを感じた。集団心理というか、誰かが買うと我も我もと買い出したという。タッパーは重宝して使いその後も購入し使っているが、タッパーは我が家には良かったが問題もあったらしい、知らない物には気をつけたい。