日本では、死刑制度が存続しているが、その実態はほとんど知られていない。現在、約100人の死刑囚が獄中で死刑執行を待っている。彼らはどのようにして死刑という刑罰にたどり着いたのであろうか。死刑制度には賛成派も反対派もいるが、死刑囚の実態はあまり知られていない。死刑執行の時期、死刑囚の生活や心境など、多くのことが秘密にされている。しかし、死刑は国家が人間の命を奪う究極の刑罰であり、その是非や影響については、国民として考える必要があると思う。元刑務官坂本敏夫が次のように語っている。死刑を免れた者の中には、死刑判決を受けた者より、はるかに悪い許されざる者がいる。本来死刑判決を受けるべき者が死刑を免れ、死刑になってはならない者が死刑になっている。その原因は何だろう。死刑囚の、事件を犯す前の行動が悪く、それが捜査、公判に悪影響を与えた事もあるだろう。マスコミがそれに乗って助長することもあっただろう。警察の見込み捜査が間違っていた時は怖い。そして検察がそれを追認した時は、ほぼ有罪が確定したと言って良いだろう。死刑囚になるとは、不公平と冤罪という大きな課題を抱えた問題である。
看守部長が刑務官に死刑場を案内した時、「色々な死刑囚がいたな。刑務官憎しと、所長以外の刑務官に暴言暴行の限りを尽くしていた男の処刑はひどいものだった・・・」と言ったので、何がと聞こうとしたが、看守部長の顔に苦痛と悔根の色を見たので止めたそうだ。そして「本省(法務省矯正局)から偉い人が来ると、ここを見たがるが、ここは特別な場所だから、むやみにひとを入れて欲しくない」といって看守部長は眉間にしわを寄せたという。
まず、死刑執行についてだが。日本では、死刑は絞首刑で執行されるが、その手順や環境は非常に残酷である。死刑囚は執行当日まで執行日を知らされず、突然拘置所長から死刑執行命令書を読み上げられ、その後、死刑執行場に連れて行かれ、首に縄をかけられて落とし台から落とされる。その様子はガラス越しに立ち会い人が、見ることができるが、立ち会い人は限られた関係者だけであり、遺族や弁護士などは立ち会えない。また、死刑囚の最期の言葉や遺書なども公開されない。死刑執行の決定についても、不透明な部分が多くある。法務大臣が個々の事案について検討し、決定するということであるが、その基準や理由は明らかにされていない。死刑囚の心理状態はいかなるものか。死刑囚は、不確実な将来に対する不安や恐怖、罪悪感や後悔などの複雑な感情を抱えている。また、拘置所での生活は厳しく制限されており、孤立や退屈などのストレスも大きいだろう。死刑囚の中には、うつ病や統合失調症などの精神障害を発症する者も少なくないようだ。しかし、拘置所内での精神医療は不十分であり、適切な診断や治療が受けられない場合も多い。また、精神障害が重度化した場合でも、死刑執行が停止されることは稀である。これは、国際人権法に反するとして批判されている。死刑囚に対する支援やケアは限られており、精神科医やカウンセラーとの面会はほとんど認められず、また、弁護士や家族との面会も月に数回程度で時間も短く制限されている。さらに、再審請求や恩赦申請などの救済手段も難しく、希望を見出すことも困難である。死刑囚のケアとは、どのようなものであろうか。死刑制度に賛成する人も反対する人も、死刑囚の人権や心理状態についてあまり知らないのではないだろうか。死刑執行に立ち会った経験のある元刑務官や死刑囚の家族の声を聞き、死刑囚のケアの現状と課題について考えてみたいと思う。
死刑執行は、国家が最も重い刑罰として行う極めて特殊な行為である。そのため、死刑執行に関わる職員や家族は、精神的な負担やトラウマを抱えることが多いと言われている。日本では死刑執行の詳細は法務省がひた隠しにしており、職員や家族の心のケアの制度もほとんどない。また、死刑囚自身も、執行日がいつ来るか分からない不安や孤独に苦しみながら、長年にわたって拘置所で過ごすことになる。一方で、死刑囚は犯した罪に対して反省や謝罪の気持ちを持っている場合もあり、しかし、公判ではその思いを十分に表現できなかったり、被害者遺族と直接対話する機会がなかったりすることも多く、和解やゆるしのプロセスが進まないことが殆どだ。そうした場合、死刑執行は被害者遺族にとっても心の深い部分を、癒やすことができないかもしれない。
死刑囚のケアには、主に二つの側面があると考える。一つは、死刑囚自身の心のケアで、単に死刑囚に同情することではない。死刑囚を人間として尊重し、その心身の健康を保つことは、国際人権法や憲法で保障された基本的人権である。また、死刑囚やその家族だけでなく、職員や被害者遺族にとっても必要なことである。死刑制度が存続する限り、死刑囚のケアは避けて通れない問題で、私たちは、この問題に目を向け、真剣に議論する必要があると思う。死刑囚に対する精神的なケアを強化することが必要だと考えられる。死刑囚は、執行日が予告されず、いつでも命を奪われる可能性がある不安定な状況に置かれている。そのため、心理的な支えとなる対話や相談の機会を増やすことが大切と考える。拘置所内に専門的なカウンセラーや心理士を配置し、定期的に面談を行うことや、弁護士や家族との面会時間を延長することなどが望まれる。もう一つは、死刑執行に関わる職員の心のケアである。死刑執行は、国家権力による人間の命を奪う行為である。その現場に立ち会うことは、職員にとっても大きな負担となる。特に、ボタンを押して踏み板を開く係や、死刑囚を連行する係は、直接的に命を奪う役割を担い、そのため、職員は罪悪感やトラウマを抱えることがある。しかし、職員は仕事として割り切らなければならず、家族や友人にもなかなか相談できないだろう。そのため、職員の心のケアの制度や支援が必要であると思われる。映画「休暇」で死刑執行に与えられる休暇を通して刑務官の様子が描かれていて、刑務官の苦悩が伝わってきた。
死刑囚のケアは、日本社会においてあまり注目されていないが、しかし、死刑制度が存続する限り、死刑囚と職員の心のケアは重要な課題である。死刑制度に賛成であろうと反対であろうと、私たちは死刑囚や職員の人間性を尊重し、彼らの苦しみに目を向けるべきだと思う。
・和歌山毒物カレー事件(林眞須美)
・名張葡萄酒殺人事件(奥西勝)
・飯塚事件(久間 三千年)
・帝銀事件 (平沢貞通)等
参考文献
「誰が永山則夫を殺したのか」坂本敏夫