やっかいな「あれ」に体調を崩したこと

人生

人間何かしら、人には話せない悩みがあるものだ。離婚、リストラなど周りからその悩みがはっきりわかるものもあるが、周りからは、計り知れない問題を抱えている人も多いことだろう。 

50を過ぎた頃、詳しく内容は話せないが、私はやっかいな問題「あれ」に直面した。色々な対応を試みたが駄目で、関係機関にも相談したが無駄だった。仕事をしながら、このやっかいな問題「あれ」の解決に動くのは苦労した。それまで休みを滅多に取らない私が、何日間休みも取った。そのうち体調に変化が生じた。夜寝られないことや、寝ている時、突然の咳が止まらず朝まで起きることもあった。寝汗も酷く、耳鳴り、右眼の痛みなど、徹夜で仕事に向かうようになった。ぼーとしていて、赤信号なのに進入したことも何度かあった。仕事は頑張った。その頃は食欲もなくなり、何も食べられない日が続いた。酒だけは飲み続けた。帰宅途中吐き気がして、車を路肩に止めて吐いたが、出たのは胃液だけだった。その時の孤独、虚しさは忘れられない。ある店で、今の職場の前にいたところの仲間と会った。驚いた顔で「どうしたのか」と問われた。頬がこけ、目の下にクマができ、体重もかなり落ちているようで、酷くやつれた姿に、びっくりしたという。今勤めている職場の仲間や、家族は毎日私を見ていて、その変化に気づかなかったようだ。病院に行くように言われた。内科、眼科、耳鼻科などいったが、右耳の聞こえが悪いことと、喘息であること以外異常はないと言われた。心療内科に行った。「鬱状態」と言われた。原因はわかっていた。「あれ」である。睡眠薬など薬を処方され、睡眠薬は助かった。睡眠薬も1錠では効かないで、2,3錠飲んだこともあった。でも私は誰にも語ることのできない、「あれ」とそれでも格闘をしていた。誰にも相談できず,自ら考え動くことはかなりの負担と、この先どうなるかという不安は酷かった。あの時は寝られず,意識のある時は「あれ」が離れない。体に張り付いて離れないあの感触、「あれ」を思うことの苦しさは耐えがたかった。冬の冷たい海を見ながら,崖縁から一瞬気を失いかけた。辛うじてこの世に残った。

 やっかいな「あれ」は続いた。そんな時、偶然本棚にある「正法眼蔵」の簡単な解説本が眼に入った。読書は子供の頃から好きで色々な分野の本を読んだ。偶然本棚にある「正法眼蔵」の簡単な解説本が眼に入った。道元は昔から興味があり,永平寺にも言って在りし日の道元に思いをはせたこともある。同僚に曹洞宗の僧侶がおり自分の寺から300km以上はあるのではないか、歩いて永平寺に修行に行った人物だ。歩いている時は、何も考えず爽快だったという。その人からも色々話を聞いた。道元の別の解説本で、道元の師の言葉「参禅はすべからく身心脱落なるべし』の「身心脱落」から受けた私の解釈は次のようなものである。一つのことに集中することで、思い悩む個が「悟り」(私には無理)の中に放り込まれ、想い悩んでいた個が悟りに包み込まれ自我がなくなってしまう。自己を忘れ、自分を捨てて無心に生きろと読み取った。そのときの私には強く響いた。普通なら感じないことが、あのときは響いた。

 身心脱落とは、身体と心が一切の執着や煩悩から離れて、本来の清浄な仏性に帰ることを言い、道元は、この身心脱落を坐禅の目的とした。坐禅とは、ただ座って呼吸に注意するだけの簡単な行為で、その中で自分の身心から、自我意識や分別心を捨てよという。道元禅師は、「只管打坐」という言葉で、坐禅をするときは何も考えずにただ座ることを勧めた。そうすることで、身心脱落の境地に達することができるという。私は、座禅はしない。ただ寝る時、ただ一点呼吸に集中した。呼吸を意識することで、心が落ち着いてきた。意識のある時は「あれ」が離れない。体に張り付いて離れないあの感触、「あれ」を思うことの苦しさは耐えがたかった。しかし床に入って、何も考えないようにしながら、呼吸に意識を集中している内に、少しずつ変わった。呼吸は、鼻から吸って口から吐くことで、吸う時はお腹を膨らませ、吐く時はお腹を凹ませる。腹式呼吸だろうか。呼吸はゆっくりと深く行い続けた。呼吸に集中した。睡眠薬のせいもあるだろうが寝られるようになった。ただ今も呼吸は意識している。呼吸は本当に良いものである。健康な方にも進めたい。人間誰もが、離婚、リストラなどに悩み、苦しむこともあろうが、何も考えず、歩き続けるもよし、座禅をするもよし、その場を、何とかしのいで欲しいものだ。道元のお陰とは言わないが、少しはお世話になったように思う。

 私はその後体、心が弱って仕事を1年半休職した。家庭もあり、復職して2年間頑張ったが、これ以上は無理と1年早く辞めた。その直後2階の階段から転げ落ち頭、足を痛めた。よく死ななかったと思う。転げ落ちる時後ろ向きから前に向きを変えたのは覚えている。夜お母さんは救急車を呼ぼうとしたが、私は断った。頭からの出血、膝の激痛の中意識を失った。翌日お母さんに支えられながら病院にいった。脳に異常はなかったが額を何針か塗った。膝は骨折であった。脳外科の先生はよかったが、整形外科の医者は嫌だった。痛み止めを出すと言われ、「痛みを感じるのは生きている証拠。痛み止めは入らない」と断った。おかしな患者と思っただろう。よく額を切り、膝の骨折だけで済んだものと思われる。

 「あれ」はこれから先解決しないだろう。しかし私はもう少し生きて、そして死んでいく。そうすれば、私と「あれ」の結びつきはなくなる。そのように考えて毎日を過ごしていく。

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