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人生

  意 識 2

不眠症から「意識」とは何かと考えだした。本を読む時は老眼鏡が必要だが、インターネットで見ると楽だ。むかし読んだ本から、インターネット等で得たものを調べて始めた。インターネットは本当に便利な道具だと実感した。年をとり本の小さな字を追うのには疲...
人生

 意 識   1

不眠症を考えているうちに、意識を考え始めた。意識とは何だろうか。意識を調べ始めた。意識は、一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指す。日本語では、「ある物事につい...
人生

 不 眠 症

私は鬱病であるが、特に調子を崩すと夜寝られず辛くなるときがある。24:00を過ぎ、1:00,そして2:00を過ぎると焦る。3:00、4:00を過ぎると落胆する。鬱病と言われ眠剤を処方されて、一時眠剤が強すぎて翌日朦朧として一日無為に過ごし、...
人生

 ジョセフ・グルー

ジョセフ・クラーク・グルーは、アメリカ合衆国の外交官。日米開戦時の駐日アメリカ合衆国特命全権大使。日米開戦回避に努めた。開戦(1941年12月)後日本国内に抑留され、日本の外交官との交換船により帰国(1942年6月)。帰国後は国務次官となり...
世相

 斎藤隆夫の「粛軍演説」全文

寺内寿一陸軍大臣に対する質問演説。「革新」の実体の曖昧さを突き、広田内閣の国政改革の大要の質問を行った後、軍部革正(粛軍)を軍部に強く要請すると同時に議会軽視の傾きのあった軍部への批判演説である。苟も立憲政治家たる者は、国民を背景として正々...
世相

 斎藤隆夫の「反軍演説」全文

斎藤 隆夫は、日本の弁護士、政治家であり、帝国議会衆議院において、立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、弁舌により軍部の政治介入に抵抗した。粛軍演説、反軍演説が有名である。粛軍演説は別記事で全文載せる。粛軍演説: 立憲政治の立場から軍の暴走...
世相

 軽くてパーな政治家等

太平洋戦争によって約350万人の兵士、軍属、民間人が戦死した。戦後になっての戦病死を含めると500万人を超えるだろうといわれている。この500万人が不在のなか戦後が過ぎ去っていった。彼らが生きていたならばどんな戦後の歴史になっていたことか。...
世相

 樺美智子の家族 

樺美智子は1937年(昭和12年)に東京都北多摩郡武蔵野町の(現・武蔵野市)学者の家系に生まれた。2人の兄がいる。中学から父の神戸大学赴任にともない兵庫県芦屋市に移る。芦屋市立山手中学校、兵庫県立神戸高等学校を卒業後、一浪して東京の研数学館...
人生

 特攻に反対した海軍軍人

1945年2月下旬、木更津の航空基地で連合艦隊司令部主催の作戦会議が開かれた。間もなく沖縄にアメリカの総攻撃が予想され、海軍もこれを迎え撃たなければなない。前年度10月から始まった特攻作戦が主軸になることは予想され、事実主席参謀は「次期沖縄...
世相

 小泉純一郎の言葉 

小泉純一郎の議会答弁を聞いていて、紋切り型の話し言葉に嫌な感じを抱いた。「構造改革」の言で「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに、道路関係四公団・石油公団・住宅金融公庫・交通営団など特殊法人の民営化など小さな政府を目指す改革(「官か...