・ケチャップは1830年代のアメリカでは薬として特許が取られていた。
(ケチャップ(英: ketchup、広東語: 茄汁 ke2zap1、閩南語/台湾語: 膎汁 kê-tsiap)とは、野菜(トマトなど)、果実、キノコ、または魚介類などを原料にした調味料。バナナを使ったバナナケチャップもある。インドネシアでは、さらに、醤油や、大豆と小麦粉、砂糖などで作る甘い調味料ケチャップマニスなども含め、幅広い調味料を指す。その健康に効く成分を抽出したケチャップは、1830年代アメリカでトマトエキスの薬品として特許まで取得されていたのだ。 抗酸化作用を持つリコピンや豊富なビタミンはもちろんであるが、グルタミン酸などの旨味成分のおかげで減塩調味料としても活躍している。日本のトマトケチャップは、明治期にアメリカから伝わったものが最初とされる。当時既にトマトケチャップが主流になっていたアメリカから伝わったため、日本では当初からケチャップといえばトマトケチャップだった。国産製品は1896年(明治29年)に横浜で清水與助が創業した清水屋が、1903年(明治36年)に製造販売を開始したという記録が横浜開港資料館所蔵の資料に残っており、これが最初の国産ケチャップであると考えられる。この清水屋ケチャップは、1913年に南区で開かれた勧業共進会で銅賞を受賞し、宮内庁御用達にもなったという。1908年(明治41年)には明治屋がトマトケチャップとマッシュルームケチャップの輸入販売を開始する。同年にはまた、蟹江一太郎(カゴメの創業者)がトマトケチャップの製造販売を開始している。その後トマトケチャップを用いる料理の普及拡大、殺菌方法を変え仕上がりを改善したこと、積極的な宣伝などが奏功して急速に売り上げを伸ばした。容器の変遷も消費拡大に大きな役割を果たした。発売当初はビール瓶に詰められていたため取り出しにくかったが、1957年に(他社に追随して)カゴメが広口瓶を採用し、スプーンで必要なだけ取り出せるようになったことで4年後には売り上げが2倍近くに増えたという。さらにその後、ポリエチレンをブロー成形したチューブ入りのものが発売され、使い勝手の良さから日本における主流となった。トマトを主原料とするほとんどのケチャップは赤いが、原料を変えればケチャップの色も変わる。福井市に本社を置く企業「日々是(ひびこれ)」は、金色のケチャップを製品化した。マンゴーや黄色いパプリカ、レモンを材料としている。)
・昔は熱中症ではなく、熱射病・日射病という言葉が一般的だった。
(昔は、強い直射日光に長時間当たることで発生する「日射病」や、屋内外を問わず高温多湿な環境下に長時間いたり作業をしたりした時に起こる「熱射病」と、呼ばれ方が様々であったが、2000年からすべて「熱中症」に統一された。)
・サイコロは6面それぞれの穴の数によって重量に誤差が出る為、出る目の確率は均等で はない。※一番出やすい目の数は5だと言われている。
(実は普通のサイコロはそれぞれの目が出る確率は1/6ではありません。わずかな確率の違いではありますが、最も出やすい目は実は「5」なのである。その理由は、「5」の裏側が「2」だからである。「5」の目ではくぼみを5カ所掘っているのに対し、「2」の目では2カ所しか掘っていない。従って重量がアンバランスになり、目の出方に偏りが生じる。このアンバランスさは「1」(他の数字よりも目のくぼみが大きく深い)と「6」、「3」と「4」の組み合わせよりも大きくなるため、「5」の出る確率が最も高くなるのである。これに対し入曽精密の完全重心のサイコロは、3D-CADでデザインし、立方体を6つの四角錘に分割して考えた場合、6つの底面に彫られる目の形状を調整して、それぞれ四角錘の重量が均等になるようにしてある。また、転がるサイコロが止まる瞬間、面形状の違い(質量配分)により目の出る確率に影響が出るときがある。全てのサイコロの目の削り量が、見えにくいほど最小にしてある理由がそこにある(例えば、2の目の削り深さは0.006mm、6の目は0.002mm)。このサイコロは、どの目も同じ確率で出る唯一のサイコロとして、高等学校の数学の教科書でも取り上げられた。)
・ビールの本場であるドイツの人たちは、日本人のようにビールを飲みながらおつまみを 食べることがほとんどない。
(ビールの本場といえば、まずドイツが思い浮かぶ。案の定ドイツ人は大抵ビールが好きで、水替わりかと思うぐらいの量を飲む人も珍しくない。スーパーへ行けば、日本円にすれば50円にも満たない値段でビールが売られていることもある。ドイツ人のビール文化は日本人からしてみるとちょっぴり変わっている。日本でお酒を飲む機会といえば、必ずといっていいほど、何かおつまみと一緒にたしなむ。しかしドイツでは、ビールはガブガブ飲んでいても、一緒におつまみを食べている人をほとんど見かけないのだ。料理をお酒と一緒に楽しめば、さらに美味しくなるのに…これはもったいない。そこで事情を調べてみると、そこにはドイツの興味深い国民性があった。日本のレストランだと、一人で食べるにしても複数の品を頼むことは多々あるだろう。しかしドイツのレストランでは、一人が複数の品を頼むことはまずない。ドイツの食事は基本的にワンプレートで完結する。一皿頼めば、他はもう注文しなくてもいいぐらいの量が盛られて出てくるのだ。そして個人を尊重するドイツでは、一人で一皿を食べるのが基本。たくさん盛られているからといって、仲間とシェアすることなどほぼない。つまりドイツの人たちは、一つに集中して食事をすることに慣れている。ビールを飲みながらおつまみを食べないのも、そういった文化の影響だと考えられる。ビールを飲むと決めたら、ビールだけを味わうのがドイツ人流なのだ。ただ、ドイツの人に「どうしておつまみを食べないの?」と聞いても、明確な返答は得られないだろう。おそらく「食べちゃいけないわけじゃないけど、別にいらなくない?」のような感じだ。誰が決めたわけでもなく、自然と馴染んでいった文化だから、本人たちも明確な理由はわからないのだ。)
・じゃんけんの時の「最初はグー」を最初に言い出したのは志村けん。
(1969〜1985年にTBSで放送された「8時だョ! 全員集合」というテレビ番組内の「ジャンケン決闘」というコーナーの中で、志村けんさんと仲本工事さんがじゃんけんをする際に使ったことで、一般に広まったとみられている。志村さんの訃報に、日本じゃんけん協会は公式ツイッターに「日本でこれほどじゃんけんが広まったのは、志村さんが考案した『最初はグー』があったからに他なりません。何よりたくさんの笑いをありがとうございました」となどとの追悼コメントをつづった。)
・「ニューハーフ」という言葉を考えたのはサザンオールスターズの桑田佳祐。
( ABEMAでは、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾による新番組がついに11月からスタート。「7.2 新しい別の窓」リニューアル後の番組名は「ななにー 地下ABEMA」に決定した。11月12日(日)に放送されたでは「ななにー 地下ABEMA LGBTQを考えよう!」と題した企画が展開。LGBTQのテレビでの扱い方を話し、未来に向けた議論を行おうという趣旨だ。
ゲストとして登場したのは、物心ついたときから自分の性に違和感を抱き、19歳の時に性別適合手術を受けたはるな愛、幼少期からピンクやフリルが大好きで、32歳の時に性別適合手術を受け、女性へ戸籍変更したGENKING.、小さい頃は自分の事を女性だと思っており、46歳の時に性別適合手術を受け、女性へ戸籍変更したKABA.ちゃんの3組。
19歳の時に性別適合手術を受けたはるなに、仕切りを務めたキャイ〜ンの天野ひろゆきが「愛ちゃんは早めにカミングアウトしてましたよね?」と話を振ると、はるなは「私はニューハーフとかの名前の前にMr.レディーっていう時代があって、それこそ、TBSで上岡龍太郎さんが50人のニューハーフを集めた番組(※『上岡龍太郎がズバリ!』1992年〜1996年放送)にも出ていたりしました」と話した。
これを受け、香取が「ニューハーフって言葉は今はないんですか?」と素朴な疑問を投げかけると、はるなは「ニューハーフのお店とかよく言われるくらい、全然ニューハーフという言葉は今でもあります」と回答。その上で「ニューハーフって言葉は桑田佳祐さんが作ったんですよ」と明かすと、共演者からは「ええ!?」と驚きの声が上がった。
「ニューハーフ」は大阪のショーパブ「ベティのマヨネーズ」のママと桑田の会話から生まれたようだ。はるなが「『I LOVE YOUはひとりごと』(※元々はママ『ベティ』に提供された楽曲)っていう原坊(原由子)さんの曲をレコーディングした時に、桑田さんが“ニューハーフ”って命名して。でもその曲、放送禁止になったんです。それくらい前からある言葉なんです」と説明すると、天野は「そういう伝説があるわけですね」と返していた。)