私の主治医

人生

 私はうつ病である。もう20年近く昔になるが、ある出来事でおかしくなった。この出来事だけは、今までの記事に中で、何度も書いてきたが、誰にも話したり、相談したり出来ない。前の記事と重なる部分もがあるが書いてみる。

 それは突然私に襲いかかってきた。どうすれば良いのか分からず苦悶した。世間には加害者家族、被害者家族の悲劇、離婚、死別、倒産など色々悩ましいことはあるが、私の場合は、説明が難しい出来事であった。それから体調を崩した。寝られない、徹夜で職場に行った時は信号無視をしたり、蛇行運転をしたり良く事故を起こさなかったものと思う。食欲もなく、何も食べなかった。通勤途中吐き気がして車を止めて、路肩で吐いたが苦い胃液がでるだけだった。死も考えたが養わなければならない家族がいた。アルコールを浴びるほど飲んで寝ようとしたが、寝られなかった。その頃撮った私の写真があるが、私が見て自分の姿を酷いと思ったが、周りの人達は家族も含めて、私のこの酷い状況を深刻に見ていなかった。そんな時、久し振りに合った友人が私の姿に驚いて医者の所に行けと強く勧められた。毎日会っているのと、久しぶりに会った違いか、私の変わりように驚いたのであろう。私の不調の原因は分かっているので、医者に言っても、治ならない事は分かっていた。しかし仕事を続けるには何とかしなければの思いで、微かな望みを抱いて病院に行った。心療内科である。医者には「鬱状態」と言われた。処方された薬は全く効かなかった。睡眠薬と酒を浴びるほど飲んだが生きていた。限界を感じ、医者に休職のための診断書を書いて貰った。1ヶ月休職したが状況は当然変わらなかった。昼間家に一人いることに後ろめたさを感じ落ち着かなかった。車を自宅に置いておくと、周りの人にどう思われるかと他所に車を置いて家に籠もったことも多々あった。休職は延び、更に長期の休職のためには2人の医師の診断書が必要との事で、病院を大きな精神病院に変えた。その時の医師が、その後20年近く付き合うことになる私の主治医である。風貌はふっくらとした体格のよい好々爺とした方で、自分から私に話をするのではなく、私に話をさせようとした。症状は話せるが、肝心の私の出来事は他人に話せるものではない。主治医はそのことを間もなく察し、医師は「私に出来ることは何でもするから言ってくれ」と言われたのには、すこし安らいだ。主治医は、「薬は弱いかも知れないが副作用のないものにするが良いか」と問われ、信頼をして任せた。それでも3回ほど薬を変えた。今は主治医との会話も、「どうですか」と問われ、「変わりありません」の二言で診察は終わる。最初の頃、本当に体調が酷い日があり、通院をしてその日に入院をお願いしたことがあった。主治医は看護師に「ベッドは」と聞き、埋まっていると言われた時は、私に悪そうに「申し訳ないが駄目です」と言われた。診察を終え支払いを待っていると、看護師がとんで来て「ベッドが空きました」と言われたが、無理をされていると思い、丁重に頑張ると遠慮した。そんな付き合いをしてきたが、今は薬も、診察も必要ないと思われるが、私か主治医がなくなるまでは、主治医と付き合おうと思っている。

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