八月の日本は追悼と慰霊の日々である。高校野球でも8月15日の正午には、サイレンの音と共に黙祷が行われる。果たして今の高校生に、この黙祷の意味を理解しているであろうか。野球漬けの彼らに日本史、それも近代史を学ぶ機会はないと言ってよいのではないか。いや、中には自ら関心を持って、戦前のテロ事件、満州事変、太平洋戦争に興味をもち調べている高校生もいるかも知れないが。また高校球児に限らず我々殆どの日本人が、戦争を知らずに育ち、学校でも近代史は飛ばされ、昭和史に興味を持っている者はすくないのではないか。それは無理もないことで、80年の前の出来事より日々の暮らし、出来事に関心が行くのは当然のことであろう。日本武道館で行われる戦没者追悼式に疑義を挟むものではないが、甲子園で黙祷を強制される球児には同情さえ感ずる。政治家も口では、国の安全保障等を語りながら、近代史、戦争学等を勉強するというか、その類いの本を読んでいるものは殆どいないのでは無いか。国会内に近代史を研究する会を作っても良いのではと思うが、講師が問題だ。無理な話か。せめて国会議員は、議場で漫画を読むなら、右でも左でも、どちらでもよい近代史の本を読んで貰いたい。靖国神社も度々話に上るが、その経緯を知って貰いたい。なぜ昭和天皇が靖国神社に行かなくなったのか、それにならって平成天皇、令和天皇も行かない。しかし政治家達は「国のために命を捧げた人のために」「英霊のために」をかけ声に参拝する。みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会なるものまで存在する。その方々には昭和史をどう考えているのかを、国民に語りかけて欲しいが内容は想像ができる。ならば、必要な時だけ天皇を利用するのではなく、昭和天皇と靖国神社の関係を解説して欲しい。
そしてこれからの日本の8月15日は、この日に想いのある方は、それぞれがそれぞれの場所で、それぞれの方法で黙祷を捧げたらどうだろうか。この黙祷は国に強制されなくてよいと思う。甲子園の黙祷も思い切って辞めたらどうだろうか。むかしある老人があの甲子園のサイレンを空襲警報と重なって嫌だと言っていた。また「万歳」と言う言葉も嫌がっていた。なぜだか分かるであろうか。日本の八月は暑い。