経と仏壇

人生

  父は無宗教というか,宗教を嫌い,昔から合った大きな仏壇を私が小さい頃処分したらしい。母は信心深く、父を何とか説得してランドセル位の大きさの仏壇を購入して毎日参っていた。父はお盆に菩提寺の僧侶が来られるのを嫌がって、まだでたばかりの録音機に経を録音するように私たち子供に命じた。録音はうまく取れていたのだが、菩提寺の僧侶が帰る前に私たち子供は録音がうまく取れたか心配で、再生したのである。録音した経が流れ、僧侶の驚きようと嫌な顔は、母もどうしようかと困ったそうだが,父は素知らぬ様子で以降僧侶は来なくなった。父が亡くなり,母はたいそう立派な仏壇を購入した。しかし僧侶は二度と来なかった。母は私に戦争体験からか,毎日仏壇に水を変えてあげるよう,何度も言われたが、今はしていない。母には申し訳ないことである

 私が結婚をして、子供が出来て、家に入った頃、母の癌が見つかった。病院で医者は何も言わなかったが、母はカルテをみて分かったという。後で母はがんと分かっているというと、医者は母に何も言っていないと言ったが、母が従軍看護婦で独語を理解していることを、伝えると驚いていた。闘病生活は何年間続いたが、気丈夫に頑張っていた。私たちは共働きで昼は,お手伝いさんを頼んで母と子どの世話などを頼んだ。

 そんな母が死ぬ前に私に言った,お通夜は家でやって欲しいと。これに答えて増築をし、奥の部屋に病んでいた母に隠れて,増築した部屋に母の買った仏壇を移動した。移動に際し経を上げて貰うため、知り合いの僧侶に頼んだ。人一倍声の大きい僧侶だったので、声を小さくと頼む、おかしなものだった。私は病院から酸素ボンベを運び入れ母に酸素吸入を、そして母は死ぬ日まで自分で痰の吸入をしていた。これには医者もまた驚いていた。そして間もなく母は息を引き取った。お通夜は、増築した部屋で行った。仏壇を移動する時に頼んだ僧侶は,私の家と宗派が同じで、経を録音した僧侶はなくなりその子供が来て、2人で大きな声で経を上げてくれた。終わってから経は普段より、長く読んだと言われた時は、余計なお世話と言いたかった。母の買った大きな仏壇の前で、お通夜がやれて母には良かったと思う。

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