原発とメデイアの関係は、日本の社会にとって重要なテーマである。原発は、エネルギー安全保障や地球温暖化対策のために必要な技術として推進されてきたが、一方で、放射能汚染や事故のリスクを伴う危険なものとして批判されてきた。メデイアは、原発に関する情報を伝える役割を担っているが、その報道姿勢や内容には、さまざまな問題がある。例えば、メデイアは、原発の安全神話を形成するのにどう貢献したのか。メデイアは、原発事故が起きたときに、どのように現場からの情報を取得し、検証し、伝えたのであろうか。メデイアは、原発に対する国民の意識や社会的な議論をどのように反映し、影響し、変化させたのであろうか。そして電力会社とメデイアのもたれ合いの闇は深い。結論はみんな金である。アントニオ猪木が青森の選挙で最初は反対派の応援に入る予定が、賛成派から金が猪木に渡されると、猪木は打って変わって賛成派の候補の応援に回ったそうだ。
2011年4月13日参議院予算委員会に出席した東電・清水正孝社長(当時)は「マスコミへの広告・宣伝費は約90億円、交際費は20億円」、東電から初めて明かされたマスコミへの広告費の額である。しかしマスコミはこれを黙殺した。ある人は「事故直後、大手マスコミ、特に新聞やテレビは露骨な東電批判をしていない。背景には膨大な広告費が、東電・電力関連会社からあったからである。」と語っている。清水社長の90億には大きな偽りがあり、事故前の2009年度、東電の広告宣伝費は245億円、販売促進費240億円さらに、各電力各社、その連合体である電気事業連合会などから年間2000億円の巨大マネーがマスコミに流れていたのだ。当然マスコミはこれを追求しないし、この金が各局の報道番組に流れ、過去の放射能事故や不祥事等に及び腰だったり、追求出来なかったりするのも当然だろう。
この広告費が事故後もなされているのが大きな問題だ。事故後お詫び広告をテレビCM、各紙新聞一面を使ってなされるが、福島のテレビ4局、ラジオ2局は県民感情を考慮して拒否をしている。この巨額な広告費はもっと有効な使い道があると思われる。
大手マスコミの記者への接待も見逃せない。東電の究極の広告とは、会食、ゴルフ、高級クラブと徐々にランクを上げ気がつくと東電、電事連のツケで遊ぶという”電事連トラップ”にはまったと揶揄する記者もいる。また電気事業分科会、原子量区安全・保安部会、総合資源エネルギー調査会、海外電力調査会などへのマスコミから天下りも見逃せない究極の接待と言って良いだろう。これは大手だけでなく、マイナーな情報誌、経済誌までおよび、電力各社の援護射撃を行っている。テレビでもセシウムやヨウ素の検出、野菜や水道水汚染が報道されるたびに、「安全です」「食べても危険ではありません」と危険性を過小評価して同様の構図だ。あるテレビ局のプロデユーサーが東電に「誰を出せば良いか」相談したという。原発直後の記者会見で東電の勝俣恒久会長に、震災当日中国に旅行をしていたことに(多分マスコミ関係者も多くついて行ったのだろう。月刊誌「WILL」の花田紀凱もついて行っている。)質問が出た時、遮るように「そんなことどうでもいい、関係ないだろう、そんな質問!」と怒声のような声が上がった。私はちょうどその場面を見ていて、ひどい遮り方だなと思っていたが、それは日経の記者だった。放射線のデーターについて質問すると、読売新聞記者が「お前達の会見じゃないんだ。他でやれ」なんてこともあった。あの事故直後の記者会見は殆ど見ていたが(私は休職中であった、録画しておけば良かった)、テレビに映る画面上の人間も酷かったが、テレビ画面の後ろにいる人間、メデイア側にも大きな責任を感じた。報道の使命は忘れ去られてしまったのか。事故直後福島でも東電の記者会見は行われていたが、記者は放射能の恐怖に襲われていたという。人間、命に関わることは怖いが、報道という大事な使命を忘れて欲しくなかった。東京の日テレ社員職場放棄、共同通信福島支局長の県外逃亡、NHKの記者の逃亡もあった。これはメデイアだけではないが親族には、いち早く知らせ西に逃げろと言ったもの達や、メルトダウン直後仲間には逃げろと言ったが、福島の地元の人達には一言もなかったのは酷い。妊婦や子供にも避難勧告が出されていない中で彼らの言動は犯罪と言っても良いのではないか。
参考文献
「原発の深い闇」神林広恵編