高度障害者とは、身体や知的、精神の障害が重度であり、日常生活において特別な介護を必要とする方のことである。特別障害者手当を受給している人の数は、厚生労働省等を調べたが、やり方が悪いのか把握できなかったが、私の周りの様子から察するに、かなりおられると思う。障害者の状況は、年々変化している。高齢化や医療技術の進歩により、障害を持つ人の数や種類、ニーズは多様化している。特に、高度障害者と呼ばれる重度の障害を持つ人は、生活においてさまざまな困難に直面していて、高度障害者の未来はどうなるのであろうか。私も高度障害を持った(話せない、顔も動かせないで、目の動きだけは分かる)お子さんと会った時どう接すればよいか分からなかった。私はその時、高度障害者への「心の身だしなみ」と言うものの、必要性を感じた。私たちは日常生活の中で、障害について知らないために、障害のある方に不自由や不快な思いをさせてしまうことがある。例えば、車椅子や白杖を使っている方に無理に手助けをしようとしたり、視覚や聴覚に障害のある方に話しかけるときに声を大きくしたり、知的障害のある方に子ども扱いしたりすることなどである。これらの行動は、私たちが良かれと思ってしていることでも、相手の方にとっては不快であり、自立や社会参加を妨げることになるようである。そこで、「心の身だしなみ」とは、障害のある方の立場に立って考え、配慮や工夫をすることで、具体的には、以下のようなことが挙げられる。
– 障害のある方に対しては、普通に話しかけたり挨拶したりすること。
– 障害のある方が手助けを必要としているかどうか確認し、必要な場合はどのように手助けをすればよいか尋ねること。
– 障害のある方が自分でできることは自分でさせてあげること。
– 障害のある方の個性や能力を認めて尊重すること。
– 障害のある方と一緒に楽しく過ごすこと。
これらの「心の身だしなみ」を身につけることで、私たちは障害のある方と共に生きる社会を作っていくことができると考える。高度障害者への「心の身だしなみ」は、私たち一人一人ができる小さなことであるが、大きな意味を持つもので、ぜひ、日常生活や事業活動の中で意識してみて欲しい。
高度障害者は、自立した生活を送るために必要な身体的・精神的・知的機能が大きく低下しているため、日常生活のほとんどすべての場面で介助や支援が必要である。例えば、食事や排泄、入浴や着替えなどの基本的な生活動作や、移動や通院などの外出活動が困難で、コミュニケーションや表現、学習や仕事などの社会参加も制限される。高度障害者は、家庭や地域で暮らす場合もあれば、施設で暮らす場合もあり、家庭や地域で暮らす場合は、家族やヘルパーなどの訪問介護サービスを利用して生活する。しかし、訪問介護サービスは時間や内容に制限があり、家族も介護負担が大きくなる。施設で暮らす場合は、専門的なスタッフによる24時間体制の介護サービスを受けられるが、施設に入所できる人数には限りがあり、自分の希望する施設に入れない場合もある。また、施設で暮らすことで自分のプライバシーや自由が失われたり、家族や友人との交流が減ったりすることもある。
高度障害者は、自分の意思や選択を尊重されることが少なく、自分らしく生きることが難しい状況にある。高度障害者の声を聞く機会も少なく、社会から見えにくくなっている。高度障害者は、「生き甲斐」を感じることができるような生活を送りたいと思っているだろうが、「生き甲斐」を感じることができるような、サービスや支援が十分に提供されていないのではないだろうか。
高度障害者の未来を考えるにあたって、重要なポイントは二つある。一つは、生活保障と福祉サービスの充実である。高度障害者の方は、多くの場合、家族や施設などによる介護を受けながら生活している。しかし、介護者の高齢化や人手不足、経済的な困難などにより、十分な支援が受けられない場合があり、また、社会参加や自立の機会も限られていることが多く、生きがいや希望を持つことが難しい状況にある。経済的な困窮や介護の不足により、生活の質が低下するリスクが高い。そのため、生活保護や障害年金、特別障害者手当などの給付制度や、介護給付や訓練等給付などの福祉サービスを適切に受けられるようにすることが必要である。また、施設入所者の割合が高い知的障害者については、地域で自立した生活ができるようにするための支援も必要である。
もう一つは、社会参加と生きがいの確保である。高度障害者は、仕事やスポーツ、芸術などの社会活動に参加することが難しい場合が多い。しかし、それだけではなく、自分の存在意義や価値を感じられることも大切である。そのため、就労移行支援や障害者スポーツ、障害者アートなどの機会を増やし、高度障害者の能力や個性を発揮できる場を提供することが必要である。そのためには、政府や行政だけでなく、企業や市民団体、家族や友人など、さまざまな関係者が協力して支援することが必要である。高度障害者の未来は私たち全員の未来でもある。では、高度障害者の未来はどうなるであろうか?以下のような変化が起こると予想する。
・テクノロジーの発展により、高度障害者の方のコミュニケーションや移動、生活支援などが向上する。例えば、音声や視線などで操作できるパソコンやスマートフォン、脳波や筋電位などで動かせる義肢や車椅子、AIやロボットによる介護や相談などが普及する。
・社会的な理解や受容が進み、高度障害者の方の人権や尊厳が保障される。例えば、法律や制度の改善、啓発活動や交流イベントの充実、バリアフリーやユニバーサルデザインの推進などが行われる。
・多様な働き方や生き方が可能になり、高度障害者の方の自己実現や社会貢献が促進される。例えば、在宅勤務やフレックスタイム制などの柔軟な就労形態、スポーツや芸術などの創造的な活動、ボランティアやNPOなどの公益的な取り組みなどが広がる。これらの変化は、高度障害者の方だけでなく、すべての人にとって良い影響をもたらすと思う。しかし、これらの変化は自然に起こるものではない。私たち一人一人が意識を変えて行動することが必要である。私達は高度障害者の方と接することで、彼らの可能性や魅力を感じる事が出来ると思う。彼らは私たちに多くのことを教えてくれる。彼らは私たちと同じように幸せに生きたいと願っている。高度障害者の未来は明るいものにしたいものだ。私たちはみんな仲間であり、一緒に頑張りたいものだ。障害者に対する「心の身だしなみ」を心がけて!