犬養道子と少年兵

世相

 ある正月にあった、NHKのドキュメンタリー番組は、たしか犬養道子のインタービューであった。(昔のことで緒方貞子だったかもしれない。でも二人とも難民問題に深く関わった,また犬養毅につながる人物でもある。) 番組は「難民問題」に関するもので、この問題に深く関わった人間だから、あのように語れたのだろう。紛争地で敵側に捕まった少年が、少年兵になるよう教育を受け、最後の試験が親を殺すことと語ったのには驚いた。少年兵として保護された少年の目は何を考えているか分からないというか、死んだというか、澱んだというか、単なる物理的な眼だったそうだ(正確にどう表現したか覚えていないがこんな感じだったと思う)。 犬養道子はその子の体を抱きしめてやり、それから少年が徐々に関わっていく過程を語り、そのうち眼に表情が現れ、物体から人間に変わってきたという部分はほっとした。犬養道子は、世界はもっと、難民問題に関心を持って欲しいと言っていたように思う。

  犬養道子が難民問題に関心をもったのは、テレビに映し出されたインドシナ難民の姿に衝撃を受け、58歳で難民救済のボランティアに参加したことから始まる。私財をなげうち、時には紛争地域へ赴くなど、生涯をかけて難民救済のための活動を続けた。

  祖父は犬養毅、父は犬養健である。犬養毅は5.15で海軍士官に率いられた一団に襲われ「話せば分かる」との話かけたのに「問答無用」の一言で発砲され即死した。犬養毅は世界恐慌を受けて,76歳で首相になる。蔵相に高橋是清を起用して経済不況の打開を図り、満州事変については、満州国の承認を迫る軍部に対して、外交交渉で解決しようと考えていた。それが陸軍の反感を買ったのであろう。5.15の裁判では士官達の農村は貧困にあえぎ娘を売らざるを得ず惨憺たる状況なのに、財閥は目先の儲けに、政治家は汚職など腐敗していると涙ながらに弁解した。国民はこれを受け嘆願書多く寄せ、士官達の無罪を訴えた。この動機が純粋なら何をやっても許されるとの考えが、その後の動きに影響を与えたと思う。2.26事件に繋がる大きな転換点だったと思う。

  父犬養健はゾルゲ事件で特高に不法逮捕され、戦後造船疑獄では佐藤栄作の収賄容疑で指揮権を発動し政治生命を絶たれる。

  この時期犬養家は周りから冷たい仕打ちを受ける。犬養道子は「加害者がよく言われ、被害者が肩身を狭くして」生きていかねば、ならなかったと言う。母は出入りの商人から「ご主人はスパイの政治犯で,先代は純粋な軍人に殺されたお宅に・・・・・」と言われたという。この手のひら返しの仕打ちに犬養家はどれほど深く傷ついたことか。

  犬養道子は、ある作家が犬養毅のことをよく言ったことに対し,父も矛盾を持った政治家だから、もっと詳細に調べ客観的に話して良いと言ったそうだ。祖父犬養毅、父犬養健,そして難民問題と経験してきた犬養道子の言葉は重い。

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