下宿をしながらの中学校生活から、実家から通える高校に入って気分は非常によかった。自転車で通う学校は心地よかったが、学業には身が入らなかった。中学校の頃から読み始めた、色々な分野の本を読み(乱読)、当時盛んだった学生運動にも影響を受けた。成田闘争にも興味を持ったが、結局は傍観していた。連合赤軍、浅間山荘事件など、世間は忙しなかった。将来のことも、他の人は殆ど大学を目指していたが、私は学業も問題があり悩んだ。そんな時、友人の一人が家出をし、上野のラーメン店に勤めると言うことがあった。その友人とは、学生運動のことなど、よく話をしていたので、その行動には驚いた。一層自分の将来を考えた。
そんな時父の友人で北海道の方がいらっしゃり、北海道の良さを語っておられた。牧場に興味を持った。牧場で牛などの世話をしながら、過ごすのもまんざらではないと思いだした。北海道や牧場のことを調べたり、両親にも話したりして、真剣に考えた。高校2年の時、思い切ってその方に手紙を書き、牧場を紹介してくれないかと、お願いをした。両親は苦々しく思っていたようだが、両親と私との話は平行線で、両親は様子を見ようという態度だった。高校3年の時、北海道の方から、この牧場ではどうかとの連絡があり、私はそのつもりで準備を始めた。牧場は重労働だろうからと、前から体を鍛え始めていたが一層励んだ。学校の授業は赤点を取らない程度の物だった。
高校3年の秋だった。父が末期癌とわかった。末期癌とは知らない父だったが、そんな父から大学に行けとの言葉は重かった、母からは父を安心させてやって欲しいと言われ、迷いに迷ったが北海道は諦めた。北海道の方には丁重に断りの手紙を書いた。父からも連絡が行ったようだ。それから進学の勉強を始めた。とうてい現役での合格は無理な話であった。2年浪人してやっと、合格した。大学に入学して5月の連休が父と最後の分かれとなった。私の大学入学が父の生きているうちで、本当によかった。高校3年の秋は、私の人生の岐路であった。北海道に行っていたら、今何をしていただろうか。