中村哲と水

世相

 中村哲は日本の医師で、アフガニスタンで30年以上にわたって医療活動や用水路建設に取り組み、現地の人々からカカ・ムラト(ナカムラのおじさん)と呼ばれて愛されていた。しかし、2019年12月4日、彼は武装勢力に銃撃されて命を落とした。彼はなぜアフガニスタンで働き続けたのであろうか?彼の生涯と活動を振り返る。

 中村哲は1946年、福岡県福岡市に生まれた。九州大学医学部を卒業後、国内の病院で勤務していたが、1984年に日本キリスト教海外医療協力会からパキスタンのペシャワールに派遣された。そこで、隣国アフガニスタンから逃れてきた難民やハンセン病患者の治療に携わり、中村は、医療だけではなく、水や食料などの基本的な生活条件の改善にも力を注いだ。自ら土木技術を独学で学び(日本で九州の柳川や各地を巡り治水を学ぶ様子が映像に描かれていた。)、現地の人たちと協力して川から水を引き込み、砂漠化した土地に緑を取り戻した。人間の労力による作業は大変で、さらに米軍による誤射撃も作業を困難にしたと思われる。そんな中ショベルカーを操る中村哲の姿は素敵である。これまでに灌漑が行われた土地は約1万6500ヘクタールにも及び、彼は、アフガニスタンの乾燥した土地に水を引くために、井戸掘りや用水路建設を行った。2002年、アフガニスタン政府が井戸掘りの禁止を命じたことで、中村は大胆な方針転換をした。それは用水路建設というプロジェクトである。アフガニスタン東部を流れる暴れ川クナール川から水を引き込み、乾いた大地を潤すことで、農業や食料生産を促進することを目指した。このプロジェクトは「緑の大地計画」と呼ばれ、2010年に完成し、全長25キロメートルに及ぶ用水路は農民に恩恵をもたらした。アフガニスタンの荒れた大地に、この用水路で緑に生まれ変わったものを映像で見た時は感嘆した。「診療所を100個作るより用水路1本作った方が、どれだけみんなの健康に役だつかわからない、と医者としては思いつきますよね」と語り、約65万人の人々が農業や畜産を再開できるようになった。「水は善人・悪人を区別しない」と語り、誰とでも協力し、アフガニスタンの復興と平和を目指した。「良心を束ねて河となす」これはNHKのドキュメンタリーの題名である。中村は用水路建設だけではなく、学校やモスク、マドラサ(イスラム教の教育施設)なども建設し、また、女性や子供の教育や保健にも力を入れた。

 しかし、中村はその翌月に悲劇に遭った。彼は、アフガニスタン東部のナンガルハル州で用水路建設現場を視察した帰り道で、何者かに銃撃されて重傷を負ったが、彼は意識があったものの、治療のために別の場所へ移送される途中で息を引き取った。彼と一緒にいた5人も全員死亡した。この事件については、タリバンが関与を否定し、アフガニスタン大統領がテロ事件と断定したが、真相は未だ明らかになっていない。中村哲は73歳であった。

 またアフガニスタンでの活動について、「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」と語り、日本国憲法第9条(不戦条項)の堅持を主張した。また佐高信に対しても「アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」とも語っている。それだけに今回の事件は中村哲にとっても、憲法9条にとっても残念でならない。

 中村哲さんは、「一隅を照らす」という言葉をよく使っていた。自分が今いる場所や立場で、自分にできる精いっぱいのことをするという意味である。また「誰もそこへ行かぬから。我々がゆく。誰もしないから我々がする」とも語っていたという。中村哲は「カムイ伝」を必読書として、これを読んでアフガニスタンを想像しろと語っていたという。そして自ら実践し、あるべき支援の姿を示し続けた。彼は亡くなっても私たちの心に生き続けている。

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