あるとき知人から高校生の子供が悪さをして困ると相談を受けた。私が時間を割いて、知人宅を訪ねたら,丁度タイミングが良かったと言っていいのか、悪さが度を超して学校から停学処分を受けていた時だった。私からは素直で明るい子に見えたが、遊び仲間の中にちょっと悪いやつがいて、その子に引っ張られているようだった。注意をしながら何気ない話をしていたら,急に真面目な真剣な様子で、相談に乗ってくれるかと聞いてきた。その変わりようにビックリしながら、いいよと答えると次のような話をしてきた。私の町には酷く悪質な不良グループがいて、理不尽な事を要求してくると言う。プロレス(すべてのプロレスではないだろうが)の入場券を、行こうが行くまいが何枚も買えとか、海の家のこれも入場券を法外な値段で買わせるというのである。そのグループの上には隣町の暴力団の一員(40代)がいて,さらにその下に20代後半の取りまとめ役が10人ほどの一団を率いて暗躍していたようだ。私が聞いて驚いたのはその後の話である。その一団が私の町の不良がかった高校生50人あまりをある場所(ゲームセンタの駐車場)に集めて、不良グループの首領は、近くの飲食店で飲み食いをしながら「女を集めろ、自分の彼女でもいいから」と高校生の集団を数時間拘束したのである。その異様な様子に、近くの人が警察に電話したのであろう、パトカーも2回来て解散するようにいったそうだが、不良グループが適当にあしらってパトカーを追い返したそうだ。それを見て「警察でだめなら誰に相談してもだめだ」と高校生は思ったようである。中には付き合っていた女の子をだまして、彼らに差し出した高校生もいたそうだ。さらに自分の娘を飲み屋のコンパニオンとして送り迎えをしていた親がいたと聞いたときは、驚きを通り越して呆れた。その親は娘の仕事が終わるまで店の前で待っていたそうだ。不良グループが飲み食いしていた店も、そのグループと繋がりがあるようだ。
私は動いた。私の考えたのは、町中にそのグループの存在を知らしめて、排除することと、警察の力を借りることだった。どんな小さな非行もそのグループなら、摘発して貰うことだった。知人の子の学校を通してすべての高校に情報の共有を、役場に連絡を取り義務教育にも話を知らせ、さらに行政に色々な動きを要請した。町の中からこのグループを一掃しようと思った。それには繰り返しになるが彼らの存在を、町中に晒すことだ。警察に連絡を取ると、町の警察署に県警から署員が来て、対策本部が設置された。そんな中で笑ったのが、ある高校の校長が、こんな事をやって彼らからの仕返しを受けるのではないかと、発言したことである。確かに暴力団は怖いが、子どもは守らなければならない。それが大人の役目であろう。お粗末な校長である。県警本部から来ていた警部もこの校長には呆れていた。さらにお粗末なのが,その年行われた校長会の忘年会の2次会が、不良グループのやっている店で、高校生のコンパニオンがいた。それがわかって、校長達は恥ずかしそうにしていたが,果たしてこの問題をどこまで考えていたのだろうか。その後の細かいことは省略するが、この不良グループの連中は逮捕され壊滅したが、40代の暴力団の一人はそのままだった。起訴することは大変なことなのである。悪さは全て下端がやったで、すり抜けられる。何とかならないか考えたが駄目だった。その暴力団の所在は分かっており、大勢の高校生がある意味、終日見張っていた。最初の一ヶ月はアパートの外にも出なかったそうだ。私を信用してくれた、大勢の高校生からの情報は貴重だった。グループの情報は警察より早く,多く私に集まってきた。町中にそのグループの名は知れ渡った。そしてグループは壊滅した。
その直後私自身が体調を崩して引きこもりのような状態となり、今はどうなっているかは知らない。逮捕された連中も出所した頃だろう。悪さを繰り返さなければよいが。そして私が言うのも何だが気が引けるが、子供がこのような時、大人を頼りにしなくなったらお仕舞いだ。若い頃はやんちゃでも、その後やり直し、しっかりした生活を送る子供達を何人も見てきた。ただ心底駄目なやつもいたが。子供を、些細な問題から色眼鏡で見てはいけない。駄目なときは決して許さないのは当然だが、広い気持ちで見守るのも必要なことと思う。この事件で果たした私の役割は、自分ながら良くやったと思う。お母さんの車で久しぶりに外に出て、コンビニに寄った時、そのオーナーから声を掛けられた。あの事件の時不良グループが、その店に悪さをしていたのであるが、私がでて納めたので恩に思っていたようだ。私の体調を気遣いながらも、また夜回りをしてくれたらと言われた時はまんざらでもなかった。今の私にはあの時のような、気力・体力はもうない。残念である。でも年をとるとはこういうことなのだろう。